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木彫り面の復元

2020年11月12日
11月も中盤に入りました。
本来であれば秋祭りシーズンですが、今年は本当に味気ない季節。
とはいえ、色づく秋の景色と、日に日に肌寒くなっていく様に、創作意欲は益々増していっております。

さて、先月の話になりますが、奥出雲地域の団体様より、木彫り面の復元依頼がありまして、無事に納めさせていただきました。


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江戸時代末期の作と聞いております。


非常に古い木彫り面ですが、目力のある凛々しいお顔です。
これは大蛇退治の須佐之男命として使われているそうで、痛みが激しく、保存すべき作品ということで、復元させていただくことになりました。

石見神楽の須佐之男命は、目には金箔が入り、ヒゲが多く、口は歯でしかんだ様子の、なんとも厳ついお顔なんですが、出雲地方の須佐之男命は、こちらの作品のように、より人間味が帯びています。

ゆったりとしたお囃子の出雲神楽において、この面は本当にぴったりハマるので、僕は個人的に大好きなんですが、いざ作るとなると、、、それはそれは大変でした。

目の深みを表現するために、目の穴は3㎝ほど奥行を出していますし、顔料も一切油性塗料を使いませんでした。石見神楽面は口や歯、場合によっては顔全体に油性塗料を施しますが、「これを原点に戻ろう」と、あえて時間のかかる日本顔料仕上げにしたのです。

ということで、復元させていただいた面を紹介します。


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復元後(正面)


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このような形で復元させていただきました。

作りながら、「渡来人系の顔だなぁ」とつくづく感じました。こういう人、韓国映画とかでよく見ますよね。
石見神楽の口上では、
「新羅の国より、この本つ国へと渡り、今出雲の国簸の川上なる鳥上の里に着きて候。」
と述べています。須佐之男命は、出雲の国に入る前に新羅の国にわたられ、そこから船を作って、この出雲の国に着いたと説明しているのです。

昔、この日本は陸続きで、やがて島国となりましたが、私たちの祖先は大陸で生活していた人々に由来していることを考えると、日本誕生の創生に関わる物語で登場する須佐之男命が、大陸の人の顔立ちである方は、いたって自然のことといえるでしょう。

ところで、石見神楽の須佐之男命面の生い立ちについてですが、そこまで古い型ではないように考えています。
私もまだまだ勉強中ですが、おそらく戦後、あるいは昭和40~50年代に今のような面型が完成していったのではないかなぁと推測しているのです。
というのも、明治期に和紙面になった当初、大蛇という演目はまだ1頭、もしくは2頭しか出てこない内容で、面はつけずに舞う、いわゆる「直面(ひためん、あるいは、素面(すめん)とも言います)」で舞われていたそうです。

そして、面が使われるようになってからも、その面はいわゆる「鍾馗面」で使いまわしされていたようで、「須佐之男命」専用の面は、そこまで定着していなかったように思えます。

これに関しては、「いやいや、うちの団体ではもともと須佐之男命の面が存在する!」という団体さんもあると思いますので、正しいか間違っているかという話にしたくありませんが、、、とにかく鍾馗面のバリエーションの割には須佐之男命の面型はそこまで多くないように感じております。

また、どことなく、備中神楽面の須佐之男命に類似している点があるのも注意すべきところです。
歯があることや、マユゲの彩色、目の形などに、垣間見えます。
先人の神楽面職人の方々が、須佐之男命を作る上で、もしかしたら、、、ですが、このような他地域の神楽面の要素も取り入れたのでは、、、と考えています。


それを踏まえると、出雲地方は、初めから「須佐之男命」としての面が存在しており、むしろ、鍾馗面は存在しないわけですから、この須佐之男命面が男面(神面)として主流であるといえます。


このようなことから、私は、「出雲神楽の須佐之男命」をもう少し研究して、石見神楽面の大蛇演目にも適用する面ができないか、、、と考えているところです。

とりあえず、試作品をやってみようと思いますので、楽しみにしていてください。
(期待外れの出来だったら、正直に反応してくださいませ(笑))

ということで、長くなりましたが、復元させていただいた面が舞台に上がる日を楽しみにして、今日も新たな製作に励んでまいります。


ではでは~。


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