石見神楽とは

石見神楽(いわみかぐら)とは、島根県西部(石見地方)を中心に受け継がれている民俗芸能で、その起源は定かではないが、概ね室町時代後期には神主や社人らによって舞われていた歴史を持つ芸能である。

明治時代、政府による「神職演舞禁止令」の発令により、神職から民間の手に委ねられた石見神楽は、国学者らによる度重なる神楽改革が行われ、娯楽性の強い芸能として発達していくことになる。この時、従来の緩やかな六調子という囃子から軽快な八調子舞が生まれ、これに伴って和紙製の神楽面や金糸銀糸による派手な衣装が導入された。

昭和に入ると、これまで口伝により受け継がれてきた「神楽歌」や「口上(せりふ)」の見直しが行われ、正しく「校定石見神楽台本」が出版され、33演目を基本とし、それ以外にも各地域に伝承されている民話や伝説を神楽化した創作神楽も生まれ、より演劇性の強い芸能として老若男女を問わず、広く親しまれている。

日々進化と発展を遂げている「石見神楽」であるが、大田市や旧:邑智郡、旧・鹿足郡の一部では今もなお、貴重な六調子舞を継承している地域があり、特に

大田市の神楽については、東部は出雲系神楽(六調子)、西部は浜田系神楽(八調子)、仁摩町宅野地域においては、他に類を見ない正月行事としての「子ども神楽」の形式を今に残している特に希少な地域であり、島根の神楽の特徴をつかむことのできる縮図的地域である。

特徴

石見神楽はもともと、収穫期(9月~11月)に自然や神への感謝をあらわす神事として、神社で夜を徹して奉納されるものだったが、現在はこれに加え、地元ほか各地で行われる民間各種イベントや定期公演、競演大会など、石見神楽を観られる機会は年中を通して非常に多いことが特徴である。

また、神楽団体数が石見部のみで130団体以上と非常に多く、県内でみると約250団体と全国で最も神楽の盛んなところといえる。その理由として、3歳から80代までの幅広い年齢層により継承されていることと、出身地を超えて自由に社中(団体)への入団が許されていることから、過疎化、少子化の波を受けている地域でも、今日まで廃れることなく受け継がれている。

囃子

囃子を奏するものを楽人(がくじん)、または囃子方(はやしかた)ともいい、大太鼓・締太鼓・手拍子(手打鉦)・横笛によって構成される。

石見神楽の囃子は大きく「六調子」と「八調子」に分けられ、その違いはテンポの緩急によって区別されているが、神職時代の神楽を継承しているものは六調子で、氏子に移ってからの神楽は八調子として区別することもできる。

また、囃子の種類も神囃子、鬼囃子、蛇囃子など、その場面場面で使い分けられるが、各地域・各神楽団体によって異なり、その違いや共通点を探ることも魅力の一つである。

舞の構成

舞手は必ず幣、扇子、弓矢、刀など「採物」という手道具を持ち、豪華絢爛な衣装を身に纏い、登場人物に応じた神楽面をかぶり、物語に応じた口上を交えながら舞う。

儀式的な舞については、神楽面を使用せず(=直面)、同じ動作の繰り返しによって構成されるが、これは舞台の四方(東西南北)を祓い清めることを目的にしている。

一方、神話や伝説をもとにした演目=能舞については、火煙の使用や、衣装の早変わりなどで演出効果を高めており、特に神楽面については、姫から鬼、鬼から老婆など、面の早変わりなどで観客を喜ばせるものもある。

「勧善懲悪」の思想に基づき、威徳を持った神様が現れ、座を組みかえた一通りの舞を舞ったあと、人民を悩ます鬼や鬼神、化生などが現れ、これを征伐することで神様の威徳を讃える内容となっている。

地域性

石見神楽は、石見の人々の生活の一部であり、「生きた芸能」として日々進化発展を遂げている。

その背景には、雄大な自然環境の中で生き抜いてきた先人の知恵と工夫、思想のすべてが凝縮され、神楽を通じて自然の恵みに感謝しようとする日本人のあるべき姿が守られていることが力となっている。

近年は娯楽芸能としての傾向が強くなってきているが、地域に根付いた芸能として各世代に歓迎され、神々の国:島根にふさわしく神話を主体とした神事芸能は創造性に富んでおり、より神秘的で幻想的であることは、まさしくこの地域にしか存在しない文化的遺産といえる。


文:小林泰三 ((株)小林工房)

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「久城伝統の舞を受け継ぐ!」石見神楽保存会久城社中
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