石見神楽(いわみかぐら)とは、島根県西部(石見地方)を中心に受け継がれている民俗芸能で、その起源は定かではないが、概ね室町時代後期には神主や社人らによって舞われていた歴史を持つ芸能である。
明治時代、政府による「神職演舞禁止令」の発令により、神職から民間の手に委ねられた石見神楽は、国学者らによる度重なる神楽改革が行われ、娯楽性の強い芸能として発達していくことになる。この時、従来の緩やかな六調子という囃子から軽快な八調子舞が生まれ、これに伴って和紙製の神楽面や金糸銀糸による派手な衣装が導入された。
昭和に入ると、これまで口伝により受け継がれてきた「神楽歌」や「口上(せりふ)」の見直しが行われ、正しく「校定石見神楽台本」が出版され、33演目を基本とし、それ以外にも各地域に伝承されている民話や伝説を神楽化した創作神楽も生まれ、より演劇性の強い芸能として老若男女を問わず、広く親しまれている。
日々進化と発展を遂げている「石見神楽」であるが、大田市や旧:邑智郡、旧・鹿足郡の一部では今もなお、貴重な六調子舞を継承している地域があり、特に
大田市の神楽については、東部は出雲系神楽(六調子)、西部は浜田系神楽(八調子)、仁摩町宅野地域においては、他に類を見ない正月行事としての「子ども神楽」の形式を今に残している特に希少な地域であり、島根の神楽の特徴をつかむことのできる縮図的地域である。